神道論

『一つの聖なる道』神道と共存する宗教

神道は「日本」と言う特殊条件であるから成り立つとも言われます。特殊性の一方で「日本」でなくても当てはまる様な普遍性は無いのでしょうか。そのことを考えて見ました。

日本と宗教の多様性

日本における宗教信仰は、複雑であることについて贅言は不要かと思います。

我が国おきましては、キリスト教の流入が仏教などに比べて遅かったこともあってか、一神教特有の排他性は定着せずに様々な宗教を多重的に生活に取り入れています。

神社に初詣、クリスマスにはクリスマスツリー、葬式は仏教で、もちろん中にはお金儲けの側面も否定できない宗教イベント、お祭りもあって純粋な信仰と言う観点から見るとかなりあやしいものもありますが(儀式と祭りの分離化)、どれも生活の中に組み込まれています。

そして欲望を叶える為、豊作を祈る為、感謝する為、国家安寧をいのる為、様々な内容を伴う祈りが産まれて、それを捧げる対象が下記の通り八百万に膨れ上がった宗教社会が形成されました。

神道の祈りの多様性について言えば、例えば伊勢の神宮は個人的な願いを叶えて頂きに参拝する所ではなく、神恩感謝、国家安寧や皇室安泰を祈るべきとされ、典型的な「公」の祈りがささげられる聖地でとされる事があり、「私幣禁止」とされていました。

逆に個人的な願い、「私」の祈りは、産土神社(その人の生誕と死後を司るその地域の神)に対してすべきとも言われ、もっと具体的には、あそこに行けば恋愛成就とか、芸事上達等、崇拝、祈りの対象が一神に集中していません。

そもそも神道は農耕と深い関係があり、例えば令和の御世に入り『践祚大嘗祭』が行われましたが「豊穣」を祈る信仰様式が日本における宗教の一翼を担い、田の神と言うご神名を伺い知ることができない漠然とした神々にも祈りを捧げます。

そして仏教の場合であっても、個人の悟り=個人的な救いから、東大寺建立に見られる様な国家鎮護としての役割等祈りの内容に応じて様々な態様を持っています。

神道の世界宗教としての可能性

この様に宗教の要素が複雑且つ多重的に混在する状況の日本において、特定の宗教のみを取り上げただけでは、日本の宗教状況の説明が困難であると言う結論から、バイロン・エアハート氏は『一つの聖なる道』と言う考え方を以って、日本で発展してきた諸宗教を渾然一体であるかの様に説明します。

『一つの聖なる道』として日本の宗教状況を掴もうとしますと神道も宗教理解の要素の一つではあるが、神道が『一つの聖なる道』そのものと言うことはできなくなります。

しかしながら、私自身が神道バイアスがある点も影響している部分は否めませんが、様々な宗教で構成されるこの日本の宗教状況を一つの世界観即ち一つの聖なる道と認識できるのは、神道が根本にあり、諸宗教の概念や思想を下支えしているが故であると考えてしまうのです。

一般的に科学はエダガクであって、これをまとめる学問を宗教=ソウキョウと言われたりしますが、多様な宗教が一つの世界観に収斂されるのは、神道が諸シュウキョウをまとめるソウキョウの役割を果たしているのではないかと考えているのです。

この事は、神道の優越性を述べているのではなく、日本の宗教を考える上での前提条件を問う話です。

優越性を主張することで、神道に排他性を備えさせ、他の宗教を攻撃しようと企てているわけではございません。

つまり神道が持っている色々な宗教を受け入れる度量深い性質と言うのは、神道が「民族宗教」ではなくて、あらゆる宗教と親和性を持ち得る、言い換えれば、あらゆる価値観を取り込んでしまう「世界宗教」或いは「普遍宗教」となり得る可能性があると言う事です。

論証を待つまでも無く、上述の通りほとんどの宗教が日本において成り立っている事実を見れば明らかなのですから。

とは言え神道と言う概念を持っていない人に神道の普遍性を理解してもら為には、その論証としての神道神学の発達は必要な条件となってくるでしょう。

ABOUT ME
神田 哲拓
神道ブロガー。神道研究で得られた智慧の共有をモットーに、神社や神道記事を執筆しています。 神社大好き人間(神社検定壱級)兼 大家さん(現在戸建1戸+宅建士+管理業務主任者)兼 サラリーマン。 神道研究とフォルクローレに没頭したい。あはれ、 あなおもしろ、 あなたのし、 あなさやけ、おけ。我が信ずるところに従いまして言の葉を紡ぎます。
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