日本の神話に遊ぶ

【日本神話】ー神世七代①有限を祝福する神々ー

前回、前々回に続きまして、抽象的な内容です。伊弉諾尊(イザナギノミコト)、伊弉冉尊(イザナミノミコト)が神世七代の最後の神々として登場し、それからは具体的な親しみ易い話が展開されて行きます。

抽象的な事から具体的な事へ、これは産霊の過程と良く似ていますね。

神世七代 ー国之常立神・豊雲野神ー

次に成りませる神の名は、国之常立神(クニノトコタチノカミ)、次に豊雲野神(トヨクモヌノカミ)。此の二柱の神もまた独神と成り坐して、身を隠したまひき。 

先の記事では、別天神(ことあまつかみ)を中心に神道が弥栄、上昇史観を持つ所以である造化三神(ゾウカサンシン)と無限を象徴する神々をご紹介いたしました。

無限を象徴している別天神(ことあまつかみ)、宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)と天之常立神(アメノトコタチノカミ)に対し、今回の記事に取り上げる国之常立神(クニノトコタチノカミ)と豊雲野神(トヨクモヌノカミ)は有限を象徴している神々だとされます。

天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は有らゆる物を包括していますが、そのうち、無限と有限を表現した場合には上記の神々になるのです。

豊雲野神(トヨクモヌノカミ)ですが、トヨは美称でクモは集まる様子を表すとされます。従って物事が見事凝り固まって有限に向かう事を象徴しています。

国之常立神(クニノトコタチノカミ) は天之常立神が無限の極致、無限に導こうとする神様であることに対し、有限の極致を象徴する神様で、物事を有限に導こうとする神様です。

無限と有限を行ったり来たり

宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)と天之常立神(アメノトコタチノカミ)の理解だけでは、その意味する所が掴み切れないのですが、有限の神々の登場によって理解が進みます。

我々は良く分析をする。

目の前にリンゴあれば、リンゴと言う一つの言葉から、赤い、甘い、丸い等、どんどん意味や性質を捉えて言葉を広げて行く。

顕微鏡で細胞を眺めたり、成分を研究するのも同じですね。

天之常立神の無限へ引っ張る力とそれに同調する宇摩志阿斯訶備比古遅神の神徳で無限の方へ、言い換えれば、抽象的な方に向かおうとします。

リンゴは無限に広がり、どんどん抽象的になり下手をするとリンゴが分子レベルまで概念的に無限化されてしまって、現実的な有用性を失う可能性だってあります。

リンゴとは「分子」です。と言う大変抽象的な結論に陥る。

これに対して国之常立神(クニノトコタチノカミ)と豊雲野神(トヨクモヌノカミ)が居られる。

具体的な方向に引っ張る力とそれに乗っかり、具体的な方に向かう力。

例えばリンゴが樹に生る。

これは普通の事かもしれませんが色んな成分や分子が集まって有限化、具体化しているのです。

有限と無限、分析と統合、具体的な事と抽象的な事(あくまでこれらは例示に過ぎません)、産霊の過程はこのせめぎ合いで行われていると教えてくれているわけです。

この両方の神々を前提に産霊はどの様に行われるのか、それが下記の神々の御神格を理解することでその奥義を覗き見る事ができます。

宇比地邇神(うひぢにのかみ)須比智邇神(すひぢにのかみ)
角杙神(つぬぐいのかみ)活杙神(いくぐいのかみ)
意富斗能地神(おおとのぢのかみ) 大斗乃弁神(おおとのべのかみ)
淤母陀琉神(おもだるのかみ) 阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
伊邪那岐神(いざなぎのかみ)伊邪那美神(いざなみのかみ)=ここでは古事記の表記に従っています。

次回の記事より順番に見ていきましょう。

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神田 哲拓
神田 哲拓
神道ブロガー。神道研究で得られた智慧の共有をモットーに、神社や神道記事を執筆しています。 神社大好き人間(神社検定壱級)兼 大家さん(現在戸建1戸+宅建士)兼 サラリーマン。 神道研究とフォルクローレに没頭したい。あはれ、 あなおもしろ、 あなたのし、 あなさやけ、おけ。我が信ずるところに従いまして言の葉を紡ぎます。
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