
矛盾対立を乗り越えた結果、事が為ります。
古の日本人たちはこの物事が成就する様から、角杙神(ツヌグイノカミ)・活杙神(イクグイノカミ)を見出します。
本記事ではこの角杙神(つぬぐいのかみ)・活杙神(いくぐいのかみ)について触れていきたいと思います。
角杙神(ツヌグイノカミ)・活杙神(イクグイノカミ)
次に角杙の神。次に妹活杙の神。
出典:古事記
一般的には稲作をモチーフに神世七代が語られる為、宇比地邇神、須比智邇神が泥の神で、そこに縄張りを作る為に杭を立てる。
ここから角杙神(ツヌグイノカミ)、活杙神(イクグイノカミ)は杭の神様と語られることがあります。
このブログにおける文脈から申し上げますとそれだけに止まらない事は、すぐにご承知いただけるかとおもいます。
ではこの神々の御本質は如何なるものなのでしょうか。
「角ぬぐ」は芽吹くと同じ意味で、物そのものが成り立つ様を言います。
角杙神 は物ができあがって行く力を性質とされる神様、そして活杙神はその物に活力がみなぎる様、内容・品質が充実していく力を性質とされる神様です。
矛盾対立を乗り越えて、物事が成就する様を象徴した神々。
文字通り「芽出度い」神々ですね。
神道の持つ上昇史観にも関わりますが、日本の神話は「対立」「矛盾」「苦悩」で終わらず、これらを材料として物事が新しいレベルで成り立つ事を示唆しています。
「生」と「死」の矛盾から穀物が産まれたり、剣の神々が産まれたりする話があるのですが、神世七代の神々を念頭に置けば、産霊の観点から深読みできる様になります。
神道においてこの神々の存在により対立の先には絶望ではなく、希望がある事を教えてくれているのです。
鹿の角と果物、家の例え
先般、お参りさせて頂いた春日大社でも鹿が沢山いましたが、角杙神のご神徳を以って、角を備え、活杙神のご神徳で勇ましさ(品質)を感じ取りました。
勇ましいと感じる理由は、角杙神が形を整え、それを器として、活杙神が、活力、生命力など躍動する力を賦活せしめたからなのです。
然しながら物が為る様は、実はそれだけでは足りない。
果物であれば生るにはなったが、甘くない。甘さが不十分。
家であれば思ったよりも手狭だった。
これらは、一定の品質と形は伴っているのですが、成り立つ力が弱々しく「正しさ」、「あるべき姿」とは程遠いと言う事になるのです。
物事が成り立ち、それがどう言う風に落ち着けば良いのか、これを考える為に次の代の神々の登場を待つ必要があるのです。
[…] ★★☆ 【日本神話】ー神世七代③物事の成就ー […]
[…] それが、【日本神話】ー神世七代③物事の成就ーで取り上げた内容です。 […]
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