日本の神話に遊ぶ

【日本神話】ー神世七代⑥産霊と愛ー

神世七代の最後の代。

神道や日本神話を少しでも勉強したことがある人はご存知の伊邪那岐神(イザナギノカミ)、伊邪那美神(イザナミノカミ)の登場です。

国産みの神々としても有名で、これからの日本神話を語る上でも重要なご存在です。

伊邪那岐神(イザナギノカミ)・伊邪那美神(イザナミノカミ)

次に、伊邪那岐の神、次に、妹伊邪那美の神。

出典:古事記

古事記はこの神々の国産み神話だけでかなりの頁が割かれており、何度も登場する神々です。

今回は神世七代の神々として考えた場合、どう言った御神格と解せば良いのか記述して行きたいと思います。

御神格の解釈の前に

伊邪那岐神(イザナギノカミ)は高天原の最高位と崇められる天照大御神と直接関係がある大変尊貴な神で、伊邪那美神(イザナミノカミ)と並び人格的な要素も持ち合わせておられます。

例えば、言葉を用いて居られる事が古事記に記されており、人間と同じ様なコミュニケーション方法を取っておられるのです。

神世七代の大変抽象的な神々と、我々、常世に住まう者たちとの接点とも言える神々なのかもしれません。

さて、神世七代のこれまでの記事の文脈から、この神々の御神格はどう解釈すれば良いのでしょうか。

私が尊敬する筧克彦博士曰く、

『人間の心に依つて感ずることの出来るような愛』を主とせられて其の愛に依つて相互に一心同体となつてさうしていよいよ産霊の働きを実現せらるる神である。

続古神道大義 上巻 108頁

頼りの筧先生の解釈もなんとも良くわからない(滝汗)。

そもそも「愛」と言う言葉の意味も多義的であり、謎の多い言葉です。

筧博士の書物は万事この様な書き方なので研究者自身が噛み砕いて、良く味わって、そして閃かないと腹に落ちない仕組みになっております。

従って字面だけ追うと、難癖を付けられてしまい、その難癖が広まった結果、世の人々に誤解されやすいのが至極残念な所(蛇足ながら『「ドグマティズム」と「私見なし」 : 筧克彦の古神道について』は筧博士が残して下さったテキストの読み込みが甘い典型的な論文です)。

御神格について

これまで見てきた神々のご存在により、物事が成り立つ要件が明確にされて来ました。

しかしながら、この要件は実に明確で客観的な基準ではあるのですが、厳格な基準とは時に冷酷なものです。

例えば淤母陀琉神・阿夜訶志古泥神の真・善・美を伴い、完成された状態に至っていない。

だから物事の成り立ちに及ばないと一蹴されてしまうと冷たい印象を受けてしまいます。

完成の為にもっと努力しろ。そうバッサリ言われてしまうのも嫌ですよね。

古事記では伊邪那岐神(イザナギノカミ)・伊邪那美神(イザナミノカミ)のご存在によってそうではない事が語られるのです。

「イザナ」とは「誘う」と同義とされ、共に行こうと言う意味。

これまで見てきた物事の成り立ちの客観的基準に対して、この神々は主観的要素をもたらしてくれた事になる。

幼い頃を思い出して頂きたいのですが、例えば自転車の補助輪を無くして、自転車の運転ができる様になりたいと努力したことがあるかと思います。

この時、淤母陀琉神・阿夜訶志古泥神の真・善・美即ち転ばずに自分が目指す目的地まで自転車を運転できるようになろうと、努力します。

どうも独りでは上手く行かない。

何度も転ぶ、脚を擦りむく、ついには泣いてしまって努力(宇比地邇神、須比智邇神=矛盾と向き合う事)も辞めたくなってしまいます。

しかし、そこで親や兄弟、友人、近所のお兄ちゃん、お姉ちゃん、おじちゃん、おばちゃんが手を差し伸べてくれたと思います。

この産霊、物事を成り立たせようと頑張る姿勢を助けようとする気持ち、助けられる瞬間に伊邪那岐神(イザナギノカミ)・伊邪那美神(イザナミノカミ)が潜んでいるのです。

貴方を助けてくれた人は、貴方が達成しようとする目的を一心同体になって達成しようとしてくれた。達成した時には一緒に喜んでくれた。これが「イザナ」うと言う事、筧博士の言う「愛」の正体です。

何とか物事を完成させ様と言う温かな神々。

自転車の話は、ご自身と他者との間で認められる分かり易い例だったかと思います。

いざないは他者との関係でしか成り立たないのか

伊邪那岐神(イザナギノカミ)・伊邪那美神(イザナミノカミ)はもちろん我々の中にも居られます。

宇比地邇神、須比智邇神の御神意によって、今の自分となりたい自分が心の中で矛盾葛藤しはじめる。

無味乾燥な言いかたをすると「理性的な自分」と「ありのままの自分」の対立です。

例えば資格試験の勉強をしていて、もう辞めたいと思う事があります。

ご自身の中の宇比地邇神、須比智邇神のお力を抑え込んでしまおうとしてしまう状態。

その結果、合格の機運すらなく(角杙神、活杙神)、その可能性すら拡大できず(意富斗能地神、大斗乃弁神)、合格できない(淤母陀琉神、阿夜訶志古泥神)。神々と距離を置いてしまう事になるのです。

この際、周りの家族や仲間から励まされる事で、気力を取り戻すこともありますが、自分自身で、宇比地邇神、須比智邇神を励ますこともできます。

宇比地邇神、須比智邇神を愛すると言う事。

わかりやすく言うと理性的な自分によって、怠惰な自分を物事を完成させる為に「いざなう」。

動機付けと言われたりしますが、それは伊邪那岐神(イザナギノカミ)・伊邪那美神(イザナミノカミ)が司る力の一つなのです。

しかし、他者から愛を受けること程、力を得られるものはないですね。頑張れの一言で勇気が湧いた経験があるのではないでしょうか。

産霊の観点から「人間は社会的動物である」の日本的理解ができそうです。

日本の神話は冷酷な基準に対して、これを乗り越える為の力が有り、挫けそうなときでも頑張れる力があるのだよとこの神々を通して教えてくれています。

日本人が不撓不屈な精神を持ち合わせ、粘り強い理由としては、この辺りの事情を神話を通して無意識に理解しているからかもしれませんね。

さて、「いざっ!」とは、今は普通に使う事は無いかもしれないのですが何かを達成しようとする時に言えば、心持も前向きになる不思議な言葉。

伊邪那岐神(イザナギノカミ)・伊邪那美神(イザナミノカミ)のご性質を良く表している言葉だと思います。

ここ一番の時は言って見て下さい。元気が湧きます。

私も岐美神さながら、貴方の自己実現を祈念する次第です。

貴方も是非周りの人たちの産霊を助ける「いざない男」「いざない姫」になって下さいませ。

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神田 哲拓
神田 哲拓
神道ブロガー。神道研究で得られた智慧の共有をモットーに、神社や神道記事を執筆しています。 神社大好き人間(神社検定壱級)兼 大家さん(現在戸建1戸+宅建士+管理業務主任者)兼 サラリーマン。 神道研究とフォルクローレに没頭したい。あはれ、 あなおもしろ、 あなたのし、 あなさやけ、おけ。我が信ずるところに従いまして言の葉を紡ぎます。
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