五大神勅考

五大神勅ー日本の礎ー ④神籬磐境の神勅

神勅の基本的考え方は右記事参照⇒五大神勅ー日本の礎ー 総論及び①天壌無窮の神勅

1.「4」 神籬磐境の神勅

吾(あ)は則ち天津神籬(あまつひもろぎ)天津磐境(あまついわさか)を起樹(た)てて、まさに吾(あが)孫(すめみま)の為に齋ひ(いわい)奉(まつ)らむ。汝、天児屋命(アメノコヤネノミコト)、太玉命(フトタマノミコト)、宜しく天津神籬を持ちて、葦原中国(あしはらのなかつくに)に降りて、また吾孫の御為に齋ひ奉れと。

意味:私は、天津神籬(神の依代=神が宿ります樹木)、天津磐境(石を用いて区画した神聖な場所)を造り、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の為に斎います。なんじら天児屋命(アメノコヤネノミコト:忌部氏の祖)、太玉命(フトタマノミコト:中臣氏の祖)、天津神籬を持って葦が繁茂する地上に天降り、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の為に斎ってください。

2.神勅の解釈

この神勅は天照大御神ではなく、高木神(タカギノカミ)即ち高御産巣日神(タカミムスビノカミ)の神勅なのです。

三代神勅が主に天皇に対する御神意の表明であったのですが、今回は天皇を助ける神々に対して発せられものとなっております。

そしてこの神勅に至って、その抽象度は最高潮に!要するに難解です・・・。ゆっくり考えて頂ければと思います。

神社検定でもお馴染みの神籬(ヒモロギ)、神様が仮に降りていただく樹木ですが、 高御産巣日神(タカミムスビノカミ) がお祀りする。

そして、地上に降った天児屋命(アメノコヤネノミコト)、太玉命(フトタマノミコト)をしておなじ形式の 神籬(ヒモロギ)でお祀りします。

さてここで疑問が湧きませんか?お祀りすると言うのですが、天津神籬にはいったいどんな神様を降ろし、そして斎うのかと言う事です。

私は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)から連なる歴代の天皇ではないかと考えています。

ここでは瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)で神様ですから、違和感はないと思います。しかし、歴代天皇は時代が下るにつれて、いよいよ人間と変わらなくなってきます。

人間を祀るとなると一見奇妙な話ですが、人間はもまた神の一柱であると言う基本的な認識を忘れてはいけないのです。そして目の前の人に対しても頭を下げて挨拶をしているのですが、これは一種のお祀りです。実は日ごろから挨拶と言う儀礼を通して祀りの訓練と実践を行っているのです。

3.まつり合う事

高御産巣日神は天照大御神と並び高天原の代表的な神様で、この神様が天皇をお祀りする。

そして地上では、我々国民を代表して天児屋命(アメノコヤネノミコト)、太玉命(フトタマノミコト)=厳密に言えば子孫が神籬を通して天皇の御魂をお祀り申し上げる。

(神籬に依る魂=)天皇(日本国の象徴でもあり核になるご存在)が天と地の結節点となると言う見方ができるのです。

言い方を変えれば、高天原の神々と我々国民が国の統治の根幹たる天皇を祀る事で一個の共同体を形成することになります。神と人はお互いに上手く意思疎通ができないけれども、天皇を祀ると言う点で意識を共有しているのです。現世と幽世の一体感が発生している。

神々と我々が 一個の共同体を形成しているということであれば、神々の神意についても無視できなくなり、現世側の一方的な国の運営は憚られます(語弊はあるかもしれませんが、民主主義は生きている人だけが決定権を持っているのではなく、古の人たちの意思表明も汲んであげなくては真の民主主義ではないと言う考えに近いかもしれません)。

もちろん、言葉を述べて意思表示をする神々はなかなか居られませんが、古事記や日本書紀にその御神意が語られていたりします。神の意も人の意も考量する事を神人合一言い。これを政(マツリゴト)と言うのかもしれません。



  1. 天壌無窮の神勅 ⇒謹解記事「五大神勅ー日本の礎ー ①天壌無窮の神勅
  2. 同床共殿の神勅 ⇒謹解記事「五大神勅ー日本の礎ー ②同床共殿の神勅
  3. 斎庭稲穂の神勅 ⇒謹解記事「五大神勅ー日本の礎ー ③斎庭稲穂の神勅
  4. 神籬磐境の神勅 ⇒謹解記事「五大神勅ー日本の礎ー ④神籬磐境の神勅
  5. 侍殿防護の神勅 ⇒謹解記事「五大神勅ー日本の礎ー ⑤侍殿防護の神勅」  



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神田 哲拓
神田 哲拓
神道ブロガー。神道研究で得られた智慧の共有をモットーに、神社や神道記事を執筆しています。 神社大好き人間(神社検定壱級)兼 大家さん(現在戸建1戸+宅建士)兼 サラリーマン。 神道研究とフォルクローレに没頭したい。あはれ、 あなおもしろ、 あなたのし、 あなさやけ、おけ。我が信ずるところに従いまして言の葉を紡ぎます。

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