五大神勅考

五大神勅ー日本の礎ー 総論及び①天壌無窮の神勅

本記事では五大神勅についてを考えて行きます。

日本の統治の根本は五大神勅に基づいて行われて来たと言えます。

国の方向性を見失った時、そのあり方の鍵になる内容だと思いますので、ご自身の国家観を組み立てる際に参考にして頂ければ幸いです。

共産系思想(唯物史観)、東京裁判史観(一般的な小中高校で習う歴史観、或いは今のマスコミが伝える歴史観)を堅持している方にとってはしんどい内容かもしれませんのでご注意ください。

神勅の意義

我が国は立憲主義の国で憲法を最高規範として国政が行われ、民間人は間接的であれ、憲法の示す規範を民法90条を通してこれを順守しております。

この憲法による国家統制は明治より取り入れられた西洋伝来の体制で、憲法があるらゆるもに超越する最高の規範であると強烈に認識されはじめたのは戦後即ち、つい最近の話です。

そうであれば、それ以前は何が根本的な規範であって、国家はどのような指針を以って営まれてきたのかについて掘り下げていきたいと思います。

例えば「明治憲法」や「五箇条のご誓文」や各時代の律令等に織り込まれてきた日本古来の価値観、言い換えるならば、歴史を通して守られてきた日本人の普遍的価値観(貫史憲法)の研究も必要になってきます。

然しその前に、日本が草創期の国家の規範として示された神勅について取り上げざるを得ません。それは、日本人の普遍的価値観の礎となっているからです。

その規範が脈々と受け継がれ、今なお守られている奇跡は本当に驚きます。

先人たちがその身を以って経験し作り上げ守ってきた国家の根本指針を探る。

日本人であることに誇りを持つ方、伝統を大事にしたい方にとって神勅謹解の持つ意義は言わずもがなです。

憲法よりも上位の規範があるとの主張は、現代の言語空間では違和感がある話かもしれません。

しかしながら、「絶対的権力を縛る物が必要」との観点から見ても、神勅は天皇を天皇たらしめる根拠となる存在からの命令ですので、天皇ですら逆らえない規範と解する事もできますので実は神勅への理解を深める事は有意義なのです。

その意味で、君主制(と言っても天皇陛下や皇室が西洋の君主制、王室と全く同義であるとは言い難い部分もありますが)の解毒を試みたい方にとっても、神勅の持つ意味を現代憲法解釈学に寄せて謹解し、西洋的な普遍的価値観=人権や平等や平和等を日本風にアレンジして、神勅を頂点に置く現代的法体系の構築も可能かもしれません。

要するに日本と西洋の調和の糸口があると言えるのです。

以上の点からも神勅の謹解の意義は認められますし、それこそ解釈の仕方によっては無限の価値の広がりを見せ、それこそ天上無窮の金科玉条であると考えます。

五大神勅:

  1. 天壌無窮の神勅 ⇒謹解記事「五大神勅ー日本の礎ー ①天壌無窮の神勅
  2. 同床共殿の神勅 ⇒謹解記事「五大神勅ー日本の礎ー ②同床共殿の神勅
  3. 斎庭稲穂の神勅 ⇒謹解記事「五大神勅ー日本の礎ー ③斎庭稲穂の神勅
  4. 神籬磐境の神勅 ⇒謹解記事「五大神勅ー日本の礎ー ④神籬磐境の神勅
  5. 侍殿防護の神勅 ⇒謹解記事「五大神勅ー日本の礎ー ⑤侍殿防護の神勅」  

「1」天壌無窮の神勅

葦原千五百秋(あしはらのちいほあき)の瑞穂の国は、これ吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しく爾(いまし)皇孫(すめみま)就(ゆ)いて治(しら)せ。さきくませ。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)り無けむ。

意味:葦が茂る永久に瑞々しい稲穂の実る国は、我が子孫が君となる地である。我が子よ、治めなさい。さあ行くのです。皇位の栄える様は、天と地が永久であるが如く限界はありません。

日本が日本と呼ばれる核心部分です。天皇がおられる。この一点で他の国々と異なっています。そして昔から制度の揺らぎはあっても天皇は日本を治すご存在でした。皇室は時代が下っても栄えるとの福音は、神道における弥栄=上昇史観の基にもなっております。

この神勅を以って完璧な神から王権を神授され、天皇は好きな様に日本を統治できると解釈するのは、浅学との誹りは免れません。
天照大御神は高天原をしろしめす存在でしたが絶対権力者ではありませんでした。物事を決める際は、 天安河原 (アメノヤスノカワラ)で衆議一決してますし、弟神素戔嗚尊が暴れた時には。彼の神様の暴走を抑えられずに岩戸に籠られました。

権威はあるが権力が無い、現在の皇室や武家が力を持っていた時の天皇像と一致している様な気がします。

繰り返しになるのですが、天皇を天皇たらしめる根拠となる存在(天照大御神)とその事績は簡単に無視できるものではありません。即ち神勅と神勅から導かれる派生原理は憲法以上に天皇の君主としての権力を抑制する力があるのです。

この事はかの有名な「治ス(シラス)」「うしはく」論とも関係してきます。シラスとは権威による統治、うしはくは武力等による権力による統治を言うとされます。この神勅にはまさに「シラス」とありますから、権力を主体とした統治は否定しているのです(シラス・ウシハク論はもう少し煮詰めて別記事をたてます)。

信仰の立場で言えば、神道人はこの神勅は厳守せざるを得ません。天皇のいますことの価値論は二の次です。

宗教的無自覚者は、後者が優先事項になると思いますが、こればかりは各人の世界観、思想信条の違いですの致し方ありません。

しかしながら天皇は天皇制と言いたてて、弓をひいてくる相手に対してですら安らかなれと祈っておられる。

そして外交上、各国に散らばる大使に比して、その外交効力はとんでもなく高いとも言われたりします。この現世的意義も忘れてはならないでしょう。

天皇いますことで、国家が滅亡しない程度で革命(維新と言う方が正しい)が行われる世界で類を見ない、絶妙な統治システムが築かれています。

 

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神田 哲拓
神田 哲拓
神道ブロガー。神道研究で得られた智慧の共有をモットーに、神社や神道記事を執筆しています。 神社大好き人間(神社検定壱級)兼 大家さん(現在戸建1戸+宅建士)兼 サラリーマン。 神道研究とフォルクローレに没頭したい。あはれ、 あなおもしろ、 あなたのし、 あなさやけ、おけ。我が信ずるところに従いまして言の葉を紡ぎます。
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