神道論

問い祓い ー祓えの一法ー

1.穢れの具体的イメージ

穢れってそもそも何か。今ここで述べると自分の存在(魂)と統合できない異物と定義致します。

簡単に言えば自分が嫌悪感を感じる物・事です。卑近の例で言えば、ピーマン嫌い、トマト嫌い等、食べ物の好みがとってもわかりやすい。

自分が美味しいと感じる食べ物の中に嫌いなものが混じっていると食べ物と言うより異物に見えてしまいます。

内面で言えば、ストレスが異物と言えます。人前に立たされる。怒られる。捌ききれない仕事量を負わされる。テストの為の勉強。これらもストレスの原因となる事の例示です。

要するに「自分に統合されない存在。外側から貴方自身に圧力をかけて来たり、嫌な思いをさせるものそれが穢れと言う事です(但し、物や事そのものは穢れではなく、その人との関係上に成り立つ非常に相対的なものだとも言えそうですが)。

究極的にまた単純でわかり易い例は、生きてるものが死んでるものに対する嫌悪感でしょう。

この様に良く考えると我々は穢れに取り囲まれているわけです。なんとかならんもんでしょうかねえ・・・。

2.祓いの一法

大祓の神事や祓詞等、穢れを無くしてしまう儀式や作法(手水舎)の多い神道ですが穢れ同様に祓についても多義的、人によっても考え方が違います。

私が注目しているのは大祓詞に出てくる「神問はしに問はした給ひ」の部分。一般的に祓と言うと大幣(木の棒に麻又は紙を取り付けた祭具でよく神主さんが左右左と揺すってる場面を見たことがあると思います)で祓ったり、祝詞を上げて祓ったりして、「穢れ」を祓います。

しかし問うと言うことは「穢れ」を「祓う」のではなく、「穢れの発生源」に直接アプローチしている事になります。無論大祓詞に出てくる文言であるからこれが祓いの作法であると断定できるわけではありませんが。

問うとは自分が疑問に思っていることを解消させるための対象者との交通手段の一つです。問いを発したと言うことは、その対象を知ろうとしている事になります。

前段中ピ-マン嫌いの話をしましたが、例えばピーマンに対して問う。ピーマンが喋るわけではないですが、ピーマンの事を知ろうと思えば体に良いと言う事を新たに知る事ができるかもしれない。或いは苦い印象しかないがピーマンの新しい調理法を知れば美味しく食べられて逆に好きになるかもしれない。

知ることは即ち好きになる機会を作っていると言う事、ひいては自己への統合にも繋がるのです。

そうなってくると穢れを発していた存在が、穢れを失って自分を構成する大事な要素になりかもしれません。

ストレスは継続して受け続けるのもしんどいですが、ストレスの原因を知れば人生を充実させるスパイスと捉える事も可能ですし、集中力を保つための魂の反応とも捉えられるかもしれません。

上記の様に考えて行くならば単純な「祓え」よりも「問祓い」の方が有用な気がします。対象を削除してしまうのではなく、自分に対象を取り込む祓えの一法。ダイバーシティ化(個人の産霊の胎動)が進む現代において、他者を肯定する方法としても重要ではないでしょうか。

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神田 哲拓
神田 哲拓
神道ブロガー。神道研究で得られた智慧の共有をモットーに、神社や神道記事を執筆しています。 神社大好き人間(神社検定壱級)兼 大家さん(現在戸建1戸+宅建士)兼 サラリーマン。 神道研究とフォルクローレに没頭したい。あはれ、 あなおもしろ、 あなたのし、 あなさやけ、おけ。我が信ずるところに従いまして言の葉を紡ぎます。
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