
神話を楽しもうと言った側から難しい記事になります。
どんな宗教であれ、神話の最初の部分と言うのは抽象的だったり、情報が少なすぎて理解に苦しい部分です。
しかし、この難しい冒頭部分の理解でその神話の面白さや理解の仕方が違ってきますから、しっかり研究しておきたい部分でもあるのです。
日本神話が伝える「世界」
天地初めて発りし時に、高天の原に成りませる神の名は、天之御中主の神。次に高御産巣日の神。次に、神御産巣日の神。この三柱の神は、みな独神と成りまして、身を隠したまひき。
出典:古事記
天地初めてひらけしとき・・・。この良く知られた一文から神話がはじまります。
キリスト教では全知全能の神(ゴッド)が世界を創造する所からはじまりますが、日本神話すでに「世界」があって、天と地が分れた時に神々が登場すると言う世界観になっています。
キリスト教の場合、ゴッドが世界を含めあらゆるものを造り上げた創造主であり、我々人間も含め被創造物と言う立場になります。
創造した側と創造された側には大きな隔たりがある。
少し『聖書』を読むとわかりますが、生殺与奪の権を創造主が持っており、創造主の機嫌を損ねた被造物はひどい目にあっています。
日本神話では神々も世界がすでにある状態から産まれ出でたわけです。
我々に先行して生まれた神々とその力をによって活かされる人間ではあるのですが、人間は神々の子孫であるとの認識を持っており、キリスト教に見られる様に神と人間との間に絶対的な懸隔は無いのです。
我々人間は神々と一霊を分かち合う、同じ存在であるとさえ言えます。
神々はただ天上に居られて、罰を下す存在ではなく、修理固成の共同事業者として大変身近な存在であると「天地初めておこりし時」云々の一文で理解できるのです。
無論身近な存在とは言え、尊い存在である事には変わりません。
天之御中主神 (アメノミナカヌシノカミ)
なんでも最初が肝心で、この最初に成られた神様の理解で神道の意義を決すると言っても過言ではありません。
要するに組織神学上、この神様の御神格をどの様に理解するかで理論の展開の仕方が変わってくるのです。
この神話シリーズは筧克彦博士の考え方に沿っています(詳しくは、『続古神道大義上巻』『神ながらの道』ー筧克彦博士が貞明皇后へ講演した速記内容を博士が補訂したものーを参照)。
この神の御名から導き出される御神格は、「無限に広がる或いは無数に存在する中心を包括される神」です。
何のことやら・・・ですが、この世界の全てそのものと理解すれば良いかと思います。
そしてこの神様を良く見れば、産霊と呼ばれる作用を第一に発見する。
(全ての物が天之御中主神であるならば、その辺の物でもいいし自分自身でも良く、ただ目の前にあるもの一つを観察し演繹的に答えを出せば間違いない。)
無限に広がる或いは無数に存在する中心を包括される神の中にこの作用があるとすれば、あらるゆ物事の法則としてこの産霊を内在せざるもは無いと言う事になります。
産霊とは、事物(観念であれ物体であれ)を意義付けする事、価値を発揚する事を言います。
これも何のことかわかりにくいですが、例えば、我々は家を家として当たり前に認識し意義付ていますが、実はこの「住む場所・道具」と言う意義付けがないと家は単なる木材の塊で価値・意義を持たなくなる。
家具なども同じで、椅子を椅子として意義付けないと木材の組み合わせた何かにしかなりません。
そして椅子は椅子としての機能を発揚する事を本質としているとも言えます。
産霊は愛する事、創設する事、意義付ける事、価値を発揮する事等を意味していおり、この産霊の作用が天之御中主神のお働きの中でも顕著なのです。
そして天之御中主神に見られる産霊の働きを高皇産霊神(タカミムスビノカミ)と神皇産霊神(カミムスビノカミ)とお呼びします。
この世界に満ち満ちている天之御中主神は、先ず第一に産霊のご性質を持っているという事になるのです。
これが、「天壌無窮の神勅」とも関係してきますが、神道神学に言う上昇史観の基となっているのです。
天壌無窮の神勅についてはこちらの記事をご覧ください⇒「五大神勅ー日本の礎ー 総論及び①天壌無窮の神勅」。
高皇産霊神(タカミムスビノカミ)と神皇産霊神(カミムスビノカミ)
産霊を第一の性質であるならば、この働き、性質に御名を付けて皇産霊神(ミムスビノカミ)とお呼びすれば良いのですが、二柱の御名を拝することになります。
高皇産霊神(タカミムスビノカミ)と神皇産霊神(カミムスビノカミ)。
産霊が行われる時には、必ず産霊を働きかける側と働きかけられる側があります。
先ほどの家の例で言いますと、家を家だと認識する主体として自分(人)がいます。
一方で家を家として認識される客体としての木材がある。
万事がこの様に解せますので、産霊の能動側の働きを高皇産霊神(タカミムスビノカミ)とし、受動側を神皇産霊神(カミムスビノカミ)とお呼びするのです(これを大陸風に言うと陰陽と言う事になります。)。
そして面白いのが、人間の様に産霊を使いこなす力が強い場合、どちらの神々の御働きを駆使できるという事です。
例えば、先生と生徒が分かり易いでしょう。
教える側と教えられる側があり、教える側が高皇産霊神(タカミムスビノカミ)の御働きを活躍せしめて、生徒が神皇産霊神(カミムスビノカミ)の御働きを活躍せしめる。
学校と言う天之御中主神の中で、教育と言う名の産霊が作用しているのです。
教える方も教えられる方もそれぞれの神様を十分に発揮しなければ授業と言う産霊が成り立ちませんね。
ちなみにですが独神とは、三柱が一体であるという意味で、夫婦であるとか独身であるとか言う意味ではありません。
まだこの段階で性別がはっきりした神々は登場しないというのが一般的な理解ですし私もそう思います。
河合隼雄氏の中空構造論とは少し解釈が違い、彼の先生の解釈は物足りなさを感じています。
身を隠したまいき。隠れるは幽れる(かくれる)であって幽界に居られ普段、この現界では容易には拝見できないと解して良いでしょう。
つまり天之御中主神と産霊神は見えない神様であり、どうやって認識・理解するかと言うと、他の神々のご存在や我々人間、動植物、無生物の存在によって表現されることになります。
従って全てのものが天之御中主神の表現(又は天之御中主神そのもの)であると考え、凝らしてその性質を見て行けば、自ずと天之御中主神を理解して行く事ができるのです(これを表現汎神論と言います)。
この世界そのものであり、世界に存在するあらゆるものが天之御中主神の表現(またはそのもの)であれば、神道は天之御中主神についての解釈・深堀が基本的な研究になってくると言う事になります。
神社検定対策 用語のおさらい
用語: | 意味: |
高天原(たかまのはら) | 天津神がお住まいになる理想世界 |
柱(はしら) | 神々をお呼びする時の助数詞 |
独神(ひとりがみ) | 神学的理解:数柱の神様は本来一柱との意味 俗説的理解:伴侶のない独身の神様との説明もされることも |
[…] 【日本神話】ー世界のはじまりと神々ー で、神道は世界は天御中主神そのものであって、天御中主神の理解が要である旨を書かせて頂きました。 […]