
神道の研究は何から始めるべきか。
私は先ず『古事記』を読むことが良いと考えています。
全ての思考の出発点はやはり神話にあるからです。
神道の入口ー神話ー
神道の知識を身に着けていく為には、どうしても日本神話を知る必要があります。
天照大御神(アマテラスオオミカミ)や素戔嗚尊(スサノオノミコト)の御名は聞いたことがあると思います。
こう言ったメジャーな神々だけでなく、八百万(ヤオヨロズ)と呼ばれる程、たくさんの神々がいらっしゃいます。
神々やその神々の事績は日本神話で語られています。
神々がどのようなお働きをされたのか、神々のご神格を知る事で信仰の対象としてのカミを知ることになり、ひいては神道理解が深まるきっかけになるのです。
神社検定と言う神社好きにはたまらない検定試験があるのですが、この検定の公式テキストがあり、神話に焦点を当てたものもあります。
これらのテキストが優れモノで、分かり易い上に面白いのでので読みだしたら止まりません(中には難解なテキストもあります)。
神社検定については、「神社検定(神道文化検定)ー制度と攻略方法ー」 に詳しく記載していますので是非覗いてみてください。
ともかくにもどんな神様がいるのかを知ることがまず第一。
その為に神話を紐解く必要があるのです。
神話を知る為の書物
日本神話を知る為に、まず思いつくのは『古事記』や『日本書紀』。
学校で習うので、少なくともこの二つの書物はご存知だと思います。
いずれも、「神代」と呼ばれる時代の記憶、すなわち神話の記述がなされているのです。
この二つの書物の違いをまとめると以下の通りです。
『古事記』:国内向け、文飾が少なく素朴で雄大。
『日本書記』:正格漢文で外国(大陸)を意識。様々な文献からの引用が多くより客観的。
『日本書紀』は正式な国史としての権威が有りますが、『古事記』は漢籍の影響をなるべく排し修飾が無いので大和意(ヤマトゴコロ)の把握の観点で読むと良いとされます。
ここで言う大和意(ヤマトゴコロ)とは、ありのままに物事を捉える事で、これと反対の概念を漢意(カラゴコロ)と言い、飾り立てたり、理屈をこねくり回すこと言い論理的な面を追求します。
これらは『古事記』の解説書『古事記伝』を著した本居宣長が提唱した考えです。
さて、私はどちらが正しい書物でどちらが偽書なのかの考証に重きを置きません。
日本人の経験、霊性を違った切り口で語っているだけの様に思うからです。
良く例えられますが、目が一つではなく二つある理由と同じです。
左目と右目で見る景色はそれぞれ違います。
そうであるから両目で見た時に奥行きも感じられますし、そのものを詳しく捉える事ができます。
左目で見ている景色が正しいのか、右目で見ている景色が正しいのかではなく、眼が二つあることで多面的に確認、理解できると言う事です。
複眼的に神話を捉えると言う事であれば、『古事記』『日本書記』以外にも『古語拾遺』『旧事紀』『万葉集』祝詞等も注目すべき書物、文章になります。
分量で言えば『古事記』が読みやすいですが、『日本書紀』は日本の国のあり方や神道思想史に強い影響与えている「神勅」が記載されていたりするので、いずれは『日本書記』も読み込む必要があります。
神道思想上、重要な神勅。
神勅を色眼鏡をかけて解釈すれば、排他的な考えだと評価できますが、果たしてそうなのでしょうか。
日本が日本である理由が神勅に宣られていると考えており、戦後の教科書的知識はさておいて、もう一度沈思黙考すべき大変重要な部分です。
「五大神勅ー日本の礎ー 総論及び①天壌無窮の神勅」にまとめていますので、参考にご覧ください。
最初は神話の内容を魂に刻み込む為『古事記』を読み、肉付け、色づけの為に『日本書紀』をと言った調子で読むのが良いかもしれません。
解釈や考証は親しみを覚えてからにした方が無難です。
ちなみに私は、『古事記』神代篇は割と短いので何回も音読することで、内容を覚えたり、独特の言い回しに親しみを覚える様にしました。
短いといっても音読になると2時間くらいはかかりますので最初の頃は喉がつらくなりましたが。
音読が一番おすすめですが、もちろん繰り返し黙読しながら、古事記の世界観に浸るのも結構かと思います。