神道論

神話に見る民主主義の話

神道は封建制や専制政治、ショーヴァリズムの産物ではございません。

むしろ、日本人が新味を吸収し、進歩する為の媒体と言い得る事ができます。

この事を前提としまして神道は現在の政治システムを例に西洋的価値観と親和性があるのかを考えて行きたいと思います。

西洋との邂逅

日本は見る人が見れば神道と言う思考枠組みと天皇と言う絶対者が支配する専制国家に見えます。

舌鋒鋭い方は日本は神道と天皇を押し頂いた君主制を敷くアナクロジーで排他的な国と言うかもしれません。

日本人はこの様な評価を受ける事がある神道とは切り離せない関係にあります。

しかし、時代錯誤な国がどうして西洋的な知識を使いこなし世界の国々と伍する国家に成長できたのでしょうか。

この事実に神道=封建的、アナクロジーと言う図式を考え為す必要があるのです。

日本がはじめて西洋と本格的な邂逅を果たした幕末や明治時代は、日本が世界に試された激動の時代でした。

この時代で行われた、日本的と西洋的の相克は、そのまま神道が西洋概念をどう受け入れるのか問われた事と言い換える事も可能です。

そして、この際に果たした神道の役割を考えると専制的で日本固有のアナクロジーな概念だったかを考え直す材料にする事ができます。

当時も西洋を礼賛し公用語を英語にしようとする人もいましたし、民主主義や憲法、自由等の概念に敏感に反応する日本人も少なからずいました。

これは国民の雰囲気として進取の精神が備わっていたからに他なりません。

神道の精神が日本人の心の底で光を放ち、進取の精神を育んでいたのです。

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ここで触れている進取の精神については、神道の上昇史観に基づく表現です。「【日本神話】ー世界のはじまりと神々ー」の記事で、進取の精神と上昇史観の根拠となる神様について言及しておりますのでご参照ください。

この事は、神道は時代錯誤なものではなく新旧を調和させる思考の枠組みも含み、進歩的な要素も持ち合わせている証左になるのです。

日本は、西洋との出会いを果たして以降、西洋的知識を吸収して行きました。

神道が封建的なもので閉鎖的な志向を持つのであればショーヴァリズムな空気が日本に溢れていたはずです。

自由や平等もまた神道的な価値観と親和性が高いのですが、今回は民主主義を例に神道と西洋的概念の関連をひも解き、ひいては神道は排他的で進歩には不要であるとの偏見を排したいと思います。

神話に見る民主主義

神道を日本民族優位主義、専制政治の賜物とする方々にとっては意外かもしれませんが、実は日本の神々が民主的な意思決定をする場面が神話で語られています。

古事記や日本書紀には、「天安河原(あめのやすのかわら)」で「会議」をした記述や祝詞の代表的なもの大祓詞には「神集へに集へ給ひ。 神議りに議り給ひて。」等の記述があります。

高皇産霊神(タカミムスビノカミ)や天照大御神(アマテラスオオミカミ)が絶対的存在なのであれば、神々を集めて話し合って物事を決める必要もありませんし「天安河原」と言う国会の様な場所をわざわざ神話に登場させる必要はありません。

沢山の神々を集めて最善策を練る、或いは多数の者が意思決定に関わったとの表記は(直接)民主主義的な香りが感じられます

衆議一決の失敗も見越している日本神話

民主主義的な手続きが正しいとしても、その判断が結果的に間違っていたり、失敗してしまう事も神話には記されています。

闇雲に特定の制度を絶対化すると手段と目的がごちゃ混ぜになることがありますが、日本神話はそう言った混乱も予見している感すらあります。

民主的手続きを踏んでも絶対的な正答解には至らない場合もあると教えてくれているのです。

神々を集めて葦原の中つ国を平定する為に誰を遣わすか話し合い決定すると言う場面があります。

神々は衆議一決「天穂日命(アメノホヒノミコト)」が優れているとのことでこの神を遣わす事に決定。

しかしながらこの神は、葦原の中津国の神様に媚びて戻りませんでした。

再度「天穂日命(アメノホヒノミコト)」 の子「大背飯三熊之大人(オオソビノミクマノウシ)」を遣わすも音沙汰無。

もう一度、 高皇産霊神を議長として再度神々を招集。

話合いの結果「天稚彦(アメワカヒコ)」を行かせることになったのですが、なんとこれも大失敗。

色んな神々の知恵を集めて民主的に物事決める。

この手続きは良いのかもしれませんが、必ずしも最良の結果は得られないと言う教訓が示されているのです。

しかし、神々もたくましい。

もう一度会議を行って「経津主神(フツヌシノカミ)と建御雷之男神(タケミカヅチノカミ)」を向かわせ、ようやく目的を達成する事ができたのでした。

少し話がそれますが、失敗しても挫けず最善策を何度も考える忍耐力とそうまでして未開の地を探索しようとする進取の意気は尋常じゃありません。

人間に対して目標達成する為の心構えを神々が身を以って教示してくれているように感じます。

さて、衆議は失敗する→失敗するけど皆の知恵を結集させる事は良い→ではこの方法で成功するまで粘ろう。

もし上記の考え方が日本民族の神話意識(潜在意識)として備わっているのであれば、民主主義を政治的決定手段として、すんなり受け入れられたのも不思議ではないですね。

日本神話によって民主主義を評価するならば、この手続きを踏めば絶対に成功すると言う事はないが、政策決定の良い方法の一つであると言う事ができます。

上記の民主主義の例を踏まえ、西洋の知識を入れて、伝統智を排斥するのではなく日本の伝統や神道によって育まれたの民族意識の中に西洋と似たような価値論を見出す。

この方法を取る方が日本人としてアデンティティーの健全性を保ち尚且つ外国で生まれた普遍的であろう価値体系を日本に根付かせるには良い気がします(日本的な物を全てなくして外国の知恵を無条件に取り入れたら良いと言う考えもあるでしょうが、それは西洋概念の良い部分も結局は付け焼刃で根付かないと考えます)。

この神道と民主主義の関わりを持ち出して伝えたかった事は、神道は新旧・内外の接着剤となり得ると言う事なのです。

私からすれば神道が排他的民族主義の片棒を担いでいると言う評価は、とんでもない誤りと言わざるを得ません。

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神道は新しい価値観と親和性を以って並存できるのか、本記事と似たような目的で書いた「神道はグローバリズムをどう考えるべきか」と言う記事がございます。見て頂ければ嬉しいです。

神道神話においては古代人々の生活を伝えてくれる。

それは人間生活の不易の準則であるかもしれない、そうであれば、神道に基づく世界、国家、社会や個人への視座は実はとんでもない価値があり、万国に通じる普遍性があるのかもしれません。

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狐平太
神道ブロガーの「狐平太(こへいた)」です。日本人の霊性を取り戻すをモットーに神道に関する記事を執筆しています。 記事執筆の傍ら神社本庁の神職階位である「権正階」の検定試験の独学合格と司法試験・予備試験の合格を目指しています! あはれ、 あなおもしろ、 あなたのし、 あなさやけ、おけ。我が信ずるところに従いまして言の葉を紡ぎます。 令和元年神社検定壱級合格!
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