
神道は主体性を重んじます。
「自分の信じた道を行く。」
自分が幸福になる方法はこの言葉で語りつくされているのです。
神道は審美眼を獲得する近道
神道は、日本民族と言う枠組みの中で練磨され、受け継がれてきました。
昔から途絶えずに受け継がれてきた事、これ自体が奇跡的な事です。
特に現代は情報と物に溢れ、流行の中で不必要と考えられるものは、あっという間に居場所を失ってしまいます。
神道についていえば、その内容は非常に捉えにくいものであり、お金儲けや実学とは離れているので、すぐに忘れ去られてしまいそうなものです。
しかし、神道の最も分かりやすい表現である「神社」がいたるところに存立し、無言の雄弁とも言える佇まいが、我々に何かを伝えています。
神社と言う形を通して伝えられてきた神道ですが、何故今も受け継がれてきているのか。
流行り廃りが目まぐるしいこの世の中にあっても、捨て去ってはならない何かを我々日本人が本能的に感じて来たからかもしれません。
神道の一つの倫理論的徳目に「清明正直」と言う考え方があります、「清明正直ー神道の倫理観ー」を見て頂ければ参考になるかもしれません。
その何かとは寄って立つべき道、日本民族が長い年月をかけて育んだ価値体系。
真とは何か、善い事とは何か、美しいとは何かこれらを判断する為の基準の培養に神道は大きな力を果たすと考えています。
我々一人一人が小宇宙であるとの自覚
例えば我々個人の幸せとは何か、この基準も与えてくれてます。
我々は、耐え忍ぶことが良いことだと教わり、学校や職場の中で、同調圧力に従うことをいつの間にか良しとしています。
その状態では、おのずからの喜びはなく、すべてが受け身、他人から与えられる喜び(評価)がすべてになる。
言い換えますと客観的な評価を気にし過ぎる病に陥ってしまうのです。
神道の価値体系は、これを是とはしません。
神話によれば、我々は神の末裔であり、神々の一柱、宇宙の縮図、宇宙が産霊神(ムスビノカミ)を内在させているのと同じく、一人一人の小宇宙にも 産霊神(ムスビノカミ) を内包しています。
産霊神は、創造を象徴する神々です。
何かになりたい、何かをなしたい、何かを作りたい。
霊性的な雰囲気を排し味気なく言えば、「進取向上の精神」を客観的にとらえたものが産霊神なのです。
ここで考えたい事ですが、自分の産霊を発動させた時に矛盾や障害にぶつかる事があります。
それは大変苦しい状態です。
しかしながらこの矛盾を乗り越えた時、さらなる進化を遂げる。
この意味で矛盾も創造の為の重要な要素と言えます。
例えば、住居は屋根などの下がる力と柱や壁などそれを受け取る力の矛盾によって成り立っていますよね。
一つ一つバラバラな木材が矛盾を飲み込むことで、家と言う大きな価値を創造している。
矛盾を超越し、弥栄に栄える(価値が増大する)。
我々の中に内在する産霊神を躍動させ、栄える事が本当の幸福に繋がる。
例えばです。他人にやらされるより、自分で決めた事を成し遂げる方が楽しくありませんか?
我々は小宇宙でありその小宇宙の主催者、語弊を恐れず言えば創造主なのです。
だからこそ自信を持ち、創造主然として自分が主人公の人生を「あな面白く」創って行きましょう。
幸福になる為の設計図は常に自分の魂の中にあります。