
チャクラ活性やチャネリングも良いですが、我々がすでにもっているもっと尊い霊性の鍛錬に力を注いでみるのもありだと思います。神道と思考について考えて見ました。
奇を衒う
時として私たちは奇を衒う、即ち人と違う事、人が驚くような事に反応したり興奮を覚えたりします。
例えば、空が飛べる。水の上を歩ける。これは誰もできない事です。
もしもやってのければ驚嘆されて、崇められて何らかの宗教の教祖に祭り上げられるかもしれません。
自分は他人とは違う、この感覚は何故か気持ちが良くなります。しかし、その一方で選ばれた者意識が働きやすくもなるのです。
どこどこに伝わる秘伝の書があって、そこに書かれている行を忠実にやれば、超能力が手に入る!こんな話を聞けば、なりふり構わず入手しようとする方もいたりします。
或いはあやしい集団に高額の受講料を払ってどうしようもなくなったりすることも。
正系と思しき方にお会いできれば良いのでしょうが、人の縁こそ不可思議なものでなかなかそうはいかないですね。
八意思兼神(ヤゴコロオモイカネノカミ)
昭和の思想家、安岡正篤先生曰く、遊休施設(更地の土地や稼働していない建物)があって勿体ないと言うが一番勿体ない遊休施設は頭脳であるとその著作の中で喝破していました。
この頭脳こそ我々が身近に扱える神々が授けてくださった超能力ではないでしょうか。
この頭脳さえ円滑に作動させれば、福徳(衣食住)は必ず増します。成功者は必ず頭脳の行を行ってこの奇霊な力の発達に努めています。
無意識に行動できるようになったり、丹田を充実させるきっかけは、頭脳による意識化が最初のステップで自身の習慣(ひいては人生)の舵取りは大きくこの頭脳に依らざるを得ません。
頭脳があるから、人生の設計と言う大掛かりな仕事ができるのです。
さて神道神話でも八意思兼神(ヤゴコロオモイカネノカミ)を要所に登場させていますが、この神様は「思慮」をお働きとされる神様です。
八意(ヤゴコロ)とは数多くの考えと言う意味で、客観性も重要な要素としておられます。
我々は考える事ができるのですから、それはこの神様のご神徳をそのままにそのお力を使用できるようなもの、まずはこの力をフルに使う方法を知る。これが人生における成功の近道かも知れません。
この点、脳科学で行われている研究はこのご神徳の解明、応用(行法)の研究とも解せます。テレビでも脳科学者が出演している事が多くその謦咳に触れる事も容易です。
どこどこの社家に伝わる秘伝を求めても手に入りにくいものですが、脳科学であれば書籍も沢山あって勉強もしやすいですね。
或いはツイッターやYouTubeでも脳を上手くコントロール心理学(メンタリズム)も盛んで大変参考になります。
脳科学や心理学を用いるか否かは別として、自分の頭脳で考える事はあらゆる場面で必要なのは贅言を要しません。
自分がどうしたいかを決める事は頭脳の役目、頭脳が情報を収集しそして決断する。そして目的と志が立ったのであればその実現に向けて計画を練るのも頭脳と思考に依るのですから。
但し、この頭脳と思考は完ぺきではないという事も考えねばなりません。
思考の重要性
神話において、八意思兼神(ヤゴコロオモイカネノカミ)をしてその判断が失敗する事も記載されています(日本の神話はダメだった事も記載してる事が逆にありがたい・・・。この場合頭脳とか知識は万能ではないよと戒め、諭してくれてるんです)。
頭脳は完璧はなくて色んな条件が上手く合わさって事が成就するわけですが、思考は成功の為の必要不可欠な要素であることは間違いないでしょう。
我々もにな神秘主義に陥って社会との埋まらざる溝を勝手に作ってしまう前に、みんなが共通して持っている超能力「頭脳=内在する八意思兼神」を充実させる方が大きく神の道を踏み外すことはないかと思います。
即ち霊性開発の前に勉強しようということ!
先哲たちの残した思想や書物の研究をすれば、すでに霊性を活用しているのであって、そして活用する程この霊性を鍛えられます。
その結果、自己の信仰生活が潤ったり、大きな産霊を為せるのですから、水上歩行の術の書をあえて探す必要ないと思います。